イエス・キリストは、イエスが名前でキリストが苗字ではありません。キリストは救い主(メシヤ)という意味があります。旧約聖書は全篇にわたって「将来、救い主が来る」という預言が書かれています。そのキリストが来た時に「イエスはキリストだった」というユダヤ人たちと「イエスはキリストではない」といったユダヤ人がいて、イエスがキリストだと信じた人たちはキリスト教で、イエスはキリストではないといまだに信じているのがユダヤ教です。
イエス・キリストの誕生

それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。イザヤ7:14
クリスマスにつながるイエスの誕生は、ベツレヘムの馬小屋でのことでした。インマヌエルというのは、「神はわれらとともにいまします」という意味です。神が人間のうちに生まれた出来事を指しています。
みどりごのイエス・キリスト
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。イザヤ 9:6
「みどりご」というのは漢字で書くと「嬰児」で、日本語では「えいじ」と読まれることが多いです。意味は「産まれたばかりの子供」です。ニュースで「えいじ虐待」が報じられることがありますが、万能の神という神のイメージからほど遠い、幼い・弱い・保護が必要な子どもとして生まれたとされています。
イエス・キリストは、なぜみどりごなのでしょうか。人間の弱さ・もろさを体験したイエスキリストだから、人間に対しても深い哀れみ、愛情、人間に寄り添う気持ちがより一層発揮されるのでしょう。
エッサイの末裔であるイエス・キリスト
エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、イザヤ 11:1
エッサイは人の名前で、旧約聖書のルツ記にでてくる主人公ルツと、彼女の夫ボアズの孫です(ボアズの子ども・エッサイの父の名はオベデ)。エッサイはイスラエルのダビデ王の父親です。イエス・キリストはダビデ王の末裔であるという意味があります。
ルツ記に出てくるボアズはユダヤのベツレヘムに住んでいました。ルツが異国の地からこのベツレヘムに帰ってきたときの物語です。
昨日、仕事中に聖書朗読をスマホで聞いていました。ちょうどルツ記のところがでてきました。ルツ記は水戸黄門みたいに良い人が報われるお話で大好きな聖書箇所です。
そのルツ記にベツレヘムという地名が出てきたとき、イエス・キリストを前振りする物語でもあることに気づき、涙が止まらない現象がまたまたやってきました。
※個人的にこの現象のことを聖霊による揺さぶりだと信じています(神様ありがとう!)
ベツレヘムで生まれたイエス・キリスト
ベツレヘムは、救い主が生まれるはずの場所ですが、その根拠になった聖書の箇所はこちらです。
しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。ミカ5:2
メシヤ誕生に恐れをなした王が「メシヤはどこで生まれることになっているのか?」と学者たちに質問しました。彼らは「ユダヤのベツレヘムです」と答えましたよね。
王の王、裁き主であるキリスト
主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。エレミヤ 23:5
ダビデ王の末裔にキリストが生まれ、キリストは世を治め、公平と正義を行うことになっています。キリストは世を治め、公平と正義を行う裁き主です。
キリストの受難
今あなたは壁でとりまかれている。敵はわれわれを攻め囲み、つえをもってイスラエルのつかさのほおを撃つ。ミカ 5:1
ミカ書はここでも出てきました(上の上、ベツレヘムの項目で引用したのもミカ書でした)。キリストのこととは気づかず、読み飛ばしてしまう個所ですが、後から考えれば、キリストのことを言っていたのか!と気づけます。
子ロバに乗ってエルサレムに入場するキリスト
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。ゼカリヤ 9:9
枝の主日ミサでイエスが子ロバに乗ってエルサレムに入城したという新約聖書が朗読されます。この出来事をゼカリヤが預言していたのでした。
子ロバに乗ってエルサレムに入場するキリストですが、なぜ子ロバ?なぜ?と思っていました。
- 子ロバでなく、ロバではだめなのか?
- 馬でもよかったのではないか?
- イエスは勝利を得たのか?
こんな疑問がずっとありました。
私の想像ですが、子ロバに乗ってエルサレムに入城するようなことはイエス様以外前代未聞だったからかもしれません。彼こそキリストだとわかるようにわかりやすいサインをイエス様が生まれる何年も前に預言されていたのでしょう。