反省はできるのですが、それを神父の前にさらけだして告解するのは避けて通りたいと思ってしまいます。できることならやりたくない。日記には書けるけど、告解するのは嫌だ。告解する前に行動を改めちゃえばいいのかも?そんな誘惑があります。
ゆるしの秘跡の式次第:追記
ゆるしの秘跡の式次第は、告解部屋の中に準備してありました(※教会・小教区や主任司祭・司祭のお)。昨日日曜日のミサ後にゆるしの秘跡に安塚ることができました。ゆるしのゆえに泣けるとすっきりしますよ。ご報告までに(2025.3.14)。今回の記事は、
反省すべきこと

プライベートなことなので具体的には書き辛いです。が、「神父に話ずらい」から告解したくないのなら、ブログで公開するのと告解するのではどちらが辛いだろう?と思ったのでした。
こういう話の成り行きになりますが、反省すべきことを書いてみるかと思いました。
告解
ところで、この告解(こっかいと読みます)は、いまは「ゆるしの秘跡(ひせき)」と呼ばれています。罪を告白し、神に許しを求める秘跡です。
※秘跡は、神様だけが行えるわざのことです(かね?)
神様が許してくださる儀式なのですが、それを行うのは神父さま。
ようするに、普段よく顔を見かける神父に、「あの忌々しい罪」をぶちまけなくてはならないのです。
具体的にはどのような罪?
ここのブログに書いても罪が許されません。
ブログに書くことで気持ちが楽になるようなことなら、大した罪ではないかもしれません?
- 歳とった両親にイライラしてしまうことがある
くちにはだしませんが「もう、はやくしてよ」とか「またか」のような - 妻と口をきいていない
もう1年になりました。そして、悪いのは私ではなく妻のほうだと思うことがありますが、私も悪いことに気づけるといいかもしれません。
あのとき、こんなことをしてしまったな、というのは、数日おきに思い起こされて、そのたびに心がふさがります(たぶん許されていないのだと思います)。 - いっぱしのキリスト信者のふりをしている
本当に神様を大切にできているだろうか、やっているふりをしているだけかも、そんな反省があります。
うーん、やっぱり。書きやすいものしか書けないものですね。
こんなことなら、日記に何とでも書けます。
日記
日記もつけたりつけなかったりですが、日記に反省点を書くと、それだけで気持ちが楽になるのは確かです。
ただ、それだけでは許されたわけではないです。
そして、私のように「妻に対して」のような相手がいる場合。
神様から許してもらう前に、相手から許してもらうことが大切かもしれません。
いや、
相手から許してもらう前に、神様から許してもらうのが筋かな?
どっちだろう。
許される必要があるのかないのか?
許される必要があるのかないのか?といわれれば、許される必要はあります。
(あたかも、一般論的)
ですが、すぐに許されないこともあります。
すぐに許されないかもしれないのは、「神様の時間」「私自身の準備」がどうだという理由があるからです。
(ブログで何度も書きましたね)
許される必要はない場合、
墓場まで持っていく?
墓場まで持っていくことになります。
死ぬまで罪を秘密にしておいて、心の一部を罪がおおっている状態ですね。
それでいい人生が送れるはずもないのですが、どうしても神父に罪を話せずにいるとそういうことになります。
どうか、私も謙虚になって自分の罪をすべてしゃべることができますように。
ちなみにですが、カトリックの「ゆるしの秘跡」には、式次第のようなものもあって、自分の罪を言い表しやすく工夫されているように思います。
司祭・信者:父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
司祭:神のいつくしみに信頼して罪を告白してください。
信者:この前の告白は〇〇〇にしました。(最後に赦しの秘跡を受けた時期〔例:一か月前、この間の四旬節、または去年の待降節〕を告げる)(罪を言う)今日までの主な罪を告白いたしました。ゆるしをお願いいたします。
司祭:(勧めと償い)それでは、神の赦しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください。
信者:神よ、わたしはあなたに背いたことを心から悔み、お助けによって、こののち再び罪を犯さないと、かたく決心いたします。
(または、)神よ、いつくしみ深く私を顧み、豊かなあわれみによって私の咎をゆるしてください。悪に染まった私を洗い、罪深い私を清めてください。
司祭:全能の神、あわれみ深い父は、御子キリストの死と復活によって、世をご自分に立ち帰らせ、罪のゆるしのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通して、あなたにゆるしと平和を与えてくださいますように。わたしは父と子と聖霊のみ名によってあなたの罪をゆるします。
信者:アーメン。
司祭:主はあなたの罪をおゆるしになりました。(神に立ちかえり、罪を赦された人は幸せです。)安心してお帰りなさい。
信者:ありがとうございました。
ゆるしの秘跡の式次第より
反省はできるが、告解するのは難しいと思う
反省なら日記に書いたりすることはできます。それに比べて、告解で罪を許していただくのは難しいことです。この記事を書いているのはそろそろ、私も告解に行かなくてはと思ってのこと。次のミサで。