カトリック新聞に投稿した文章です。転載になりますが、記念に引用して載せておきます。カトリックとプロテスタントのことが少しわかってもらえるかもしれません。わたしの子ども時代についても、すこしお話します。
父の洗礼

カトリック川口教会 ヨセフ 大内暢之
父が洗礼を受けた。父の洗礼は何日も前の復活祭だったそうだ。今日は5月5日のこどもの日。母から電話があった。
父母は広島県の福山教会。父の洗礼名はヨセフ。父の洗礼は母の願いでもあった。母が最初に教会へ通いはじめ、中学生の時に私も洗礼を受け、私の兄弟も、兄弟の子どもたちも順番に洗礼を受けた。
永いながい年月が経って、兄弟の子どもたちが子どもを産むようになって、やっと父が洗礼を受けた。代父は兄弟と孫たちのよく知っている学校の先生だった。
母が電話を代わってくれたので、父に「おめでとうございます」ということができた。他になんて言えばいいのか。
「どうしてヨセフにしたの」と聞いてみた。聞いておきながらペトロでもヨハネでもないな、やっぱりヨセフだ、と思った。「暢之と同じ、よ」とのこと。
父母は元気そうだった。洗礼式をいっしょにお祝いできなかったが、うれしい気持ちがあふれている。
父は洗礼を受ける前から神様を信じていた。母と巡礼にも行っているし、近所の方を教会へ送り迎えもしていた。ヨセフ様と同じように陰で支えていたのだと思う。
母の洗礼名はマリア。お祝いにこの文章を贈ります。
カトリックの洗礼
さて、私の家族はカトリックの洗礼を受けています。
カナダでグループホーム住み込みのボランティアしたとき(L'Arche共同体 )、通った教会は、アングリカンチャーチ(英国国教会・聖公会のこと)やユナイテッドチャーチ(ペンテコステ教会)でした。
たまに、カテドラルにも連れて行ってもらえたのですが、カテドラルだけはカトリックでした。
それで、しまいに「カトリック以外は行きたくない」と叫んだら、牧師さんの奥様が涙を流されました。「ぜんぶ同じだということに気づいてほしい」。
いまは、もうすこしだけ人間が丸くなったので、カトリック以外は異端だ、とは言いません。それに、未だになぜカトリック以外が異端なのか知りもしません(当時も知らなかった)。
子どもの頃に出会った神父
深堀神父様という長崎出身の神父様がお母様がたに大人気で、カトリック福山教会に通っていました。
とはいっても通うのに車で30分以上かかるので、いまでも福山教会の地区会(近所での集まり)が開かれています。
その当時も、近所のおうちであるクリスマス会に連れて行ってもらったりしていました。
クリスマス会では恒例のプレゼント交換があるのですが、就学前の小僧だった自分にすごいものが当たったのです。
プレゼント交換の「ジングルベル、ジングルベル、鈴がなる〜」の歌が終わったとき、私が手にしていたものは、巨大なビニール袋で、その中にはその日のパーティで出た「パンの耳」がつまっていたのです。
もちろん、ギャン泣きした記憶があります。その神父と、何十年ぶりにの幟町(のぼりまち)教会でお会しました。(おしまい)