にんげん、どうしてしんじゃうんだろう。っていうか、どうぶつだって、しょくぶつだって、なんでしぬのだろう。しぬってこわいからこんなしつもんがあるんだろうね。ボクは、かがくてきじゃないけどしぬのは「このよでのやくわりがおわったから」だとおもうようにしているよ。
このよでのやくわりがおわったから

どうしてしぬのかというというと「このよでのやくわりがおわったから」だよ。
(※こじんのかんそう、です)
ボクはかがくてきじゃないけど、こんなふうにおもうようにしている。
しぬのはこわい?
さんずのかわがどうなっているのか、ふあんだったりするよね。
どうして、しぬのですか?っていうしつもんなんだけど、「しにたくない」っていうきもちからのしつもんだ。
どうして「しにたくない」かというと「しんだあとがふあん」だからだ。
「おそれ」のしょうたいは、いつでも「ふあん」なんだよね。
しんだあとがふあん?
さんずのかわのわたしちんがねあがりしてないか、ふあん。とか。
しんだあと、なにがふあんかというと
- のこされたかぞくがふあん
- ジブンがなくなることがふあん
- そのあとどうなるのかふあん
だれも、あのよからかえってきて、どうだったかおしえてくれてないから、ふあんになるんだよね。
のこされたかぞくがふあん
「いさんそうぞく」までかんがえだしたら、しんでるひまがないよね。
ジブンがなくなることがふあん
こんな「かんおけ」にいれてほしい、といいのこしていくひともいるけど
しぬまえの、ジブンは、きっと、さみしかったり、こどくだったりをかんじてるんじゃないかな?
「あのひと、さいごはやすらかだったよ」とか「くるしみながら、いきをひきとった」っていう、どうなるかわからないことも、ちょっぴりこわいよね。
そのあとどうなるのかふあん
てんごくがあるのか、ふあんだったりするよね。
しんだあと、どうなるかもしんぱいだし、しんだあとのことをだれもおしえてくれないからふあんなんだ。
たとえば「さんずのかわがあって、さいきんは、ねあげしたみたいだ」とか
「えんまさまは、ほんとはこわがりでね、おおきいこえをだすとビビるよ」みたいな、まめちしきがあったら、そのうち、ためしてみようっておもう。
どうしてしぬのか?
ねてるうちに、しにたい、とおもうのは、しぬしゅんかんがくるしいかもしれないとおもうからだね。
どうして、しぬのかはわからない(そのこたえが、たとえば「しぜんのせつりでしょ」っていわれてもなっとくできないよね)。
「しぬと、なにもなくなるんだよ。キミにはザンネンなことだけど、なにもなくなるんだ。さびしいだろうね。どうして、しぬかというと、さいぼうがろうかするからだよ。しんぞうがとまって、にくたいが、はたんするからなんだ」
これでなっとくできるひとは、よみとばしてください。
しぬってどういういみだろう?
しぬのは「このよでのやくめがおわったから」
そして、つぎのせだいのひとが、やくめをひきつぐから。
ということは、ゴールまではしりきったっていういみだ。
よくやったね、おめでとう!
かみさまを、しんじているひとにはこのせつめいと「おめでとう」をプレゼントしたいです。
かみさま、どうしてにんげんはしぬのですか?
かみさま、どうしてしぬのですかのまとめだけど、「このよでのやくわりがおわったから」(※こじんのかんそう、だけど)だったね。
ボクはそういうふうにかんがえるようにしているよ。だけど、
かがくてきには「さいぼうがろうかするから。しんぞうがとまって、にくたいが、はたんするから」とせつめいされているよ。
どちらが、よくせつめいされているか、じぶんなりにかんがえてみてください。
どちらもせいかいだし、どちらもうそではないです。