
私の父は電気のエンジニアでした(今でもそうです)。会社を立ててひとり社長として家族を養ってきました。無口で控えめでがまん強くまじめな性格です。この父を見ていると、父なる神がどのようなお方なのか、少しわかる気がします。そして、この父をまねしている自分にも気が付きました。
1.父なる神はユーモア好き

最近テレビでお笑い番組を観なくなって、すこしつまらないのかもしれません(私の父のことです)。
笑点をよく観ていました。
ですが、報道番組やニュース、ドキュメンタリーのほうが好きです。
笑ったところはあまり見たことがありませんでした。
最近、笑ったところをみたのは弟が主催するご近所さんとの麻雀大会(隔週くらいで開催されています)でした。
仕事をしていたころは、営業で訪ねてくる得意先のかたとの会話の中でも笑顔でした。
笑いが好きです。
2.父なる神は曲がったことが嫌い
父は電気のエンジニアだったわけですが、社長でもありました。
エンジニアと社長というのは(私の理解では)真逆に位置しています。
エンジニアは1つのことに秀でた知識が必要で、社長は周りをすべて俯瞰できる能力が必要です。
社長をやっているといろんな場面で曲がったことに出くわすことがあります。
そういうとき父は正しくない道を歩むのではなく、正しい道に突っ立ったまま、じっと耐えていました。
不正というのは「誰も見ていないからやってしまおう、さぼってしまおう」とか「どうせわからないから、不良品を混ぜておこう」のようなことです。
今でもそういう人を見かけると「なぜ彼はそれを正しくやらないのか?」と散歩中に話してくれます。
ところが、悪いことをやっている人を見かけても、怒ったり叱ったりしたところも見たことありません。だから、
3.父なる神はやりたいようにやらせてくれる
やりたいようにやらせてくれていたのかもしれません(私の父のことです)。
やりたいようにやって、うまくいけばそれでいいし、失敗すれば、どうして失敗したか自然と気づくものです。
言い聞かせても理解できないだろうから、気づくまで放っておくという教育方針だったのでしょうか。
私は「なんでも自由にやらせてもらえた」ことに感謝しています。
4.父なる神は、母とは違う
父とは違って母は、気が付いたことはすぐに指摘してきました(こういうところでバランスがとれていたのかもしれません)。
父は遠くで見守る役、母は近くで指導する役です。
どちらがいいというものでもありませんが、往々にして10歳を超えた子どもたちは親のいうことを素直に聞きません。
それがわかっていて、父は遠くから見守っていたのだと思います。
最小限のエネルギーで最大限の効果を生み出していたわけです。
5.父なる神は話しかけられるのが好き
たまに実家に帰ると、父が夜遅くまで台所にいることがあります(なにするともなく、寝ずにすごしている)。
たいがいYouTubeで好きなチャンネルを観ています。
そんなときに話しかけると、すぐに反応してくれるので「話しかけられるのが好きなんだろうな」と感じます。
散歩のときもそうです。どのような話なら気楽に聞いてもらえるか考えて話しかけます。
どんな話しでも「ふん」「ふん」と聞き役に徹してくれます。
それだけだとつまらないので、父も話せるように話題を昔話に振ってみます。
「木下大サーカスにいったんだけど」「土手にあった小さい橋におりる坂道はどちら側についていた?」のような話をしてみました。
「天王さん(とよばれていた神社)に木下サーカスは来ていた、小学生のころだった」とか、「福田のほうに向かって坂道があったから相方(さがた)のほうから来る車は降りにくかった」とか楽しそうに話し始めました。
話しをすることは大好きなのかもしれません。
6.父なる神はがまん強い
父は仕事大好きで布団にまで電気回路図を持って入って、枕越しに図面を書いていました。
私が小学校の低学年の頃は、私もその横でスヤスヤねていました。
「お父ちゃんがんばるなぁ」と思ったりもしました。
最近、母が父にいわなくてもいい小言をチクリといってしまうことがあります。
そんなとき3回に1回くらいの割合で、父も機嫌が悪くなります。
そして「もお、ええわ」とひとこと言い返します。でも、その一言でおしまい。
「やっぱり父はがまん強い」と思います。
7.父なる神は頼られるのがうれしい
電気のエンジニアだった父に「PICマイコンのADコンバータを使った回路を作ろうと思うけど、いまの中心電圧は何ボルトだったの?どんな工夫をしたの?」と質問をしました。
「5ボルトから10ボルトだけど、可変抵抗の電圧測定時にチャタリングやハンチングするから、CRでデレーさせている」ような、重大機密事項をぼろっと教えてくれます。
あまり一度に聞くと怪しまれるので、少しずつ聞き出してみました。
もうすぐその回路は完成します。
事務所の隅を借りてその回路の半田付けしていると、父から「まだがんばっているのか」と声がけしてくれました。
何か手伝いはないか?と聞いてきます。
話しは変わって、視力が弱い母の手をひいて一緒に歩くのも好きみたいです。
ときどき母を置いて、父がひとりで先に歩いていくことがあります。
それは母がほかのひとと話し始めるからです
じゃまにならないよう、距離を取っているようです。
8.父なる神は物知り
父は海運関係の電気装置を作っていたエンジニアでした。
独立開業する前の若いとき、とある会社の電気技師として船主や造船所で御用聞きして回っていたらしく(そういう仕事はいまでは営業の仕事です)、瀬戸内海のことをよく知っています。
「〇〇造船はどこあるの?」と質問してみました。
「今治(いまばり)」とか「因島(いんのしま)」とか答えてくれて、さらに「そこに行くには船で渡るしかない」のような答えを先回りして教えてくれます。
それだけではなく、「見積書の作り方(値段の決め方)」「製品管理台帳(自作)」「天ぷらのあげ方(大阪にいたころ天ぷら屋さんの手先をよく見ていたらしい)」のことはたいへん詳しいです。
たぶん、父なる神はもっともっと物知りで、「どうやれば幸せになれるの?」と質問したらすぐに「〇〇に行くと××という人に出会う、その人についていきなさい」のようなことができるのでしょうね。
9.父なる神はやさしい
母には申し訳ないですが、父のほうがやさしかったです(私の父のことです)。
小学校に遅刻しそうになったとき、車で送ってくれました。
夜中にテレビを見ていて見つかったときも、「おやすみ」で終わりました。
なにもいわなかったけど、心配していただろうと思います。
10.父なる神はお金すら恵んでくれる
先日、弟が私のアパートにやってきて「電子レンジがなかった」と母に伝えていたのを聞いた父は、「ネットバンキングのテストをするから銀行口座に1万円振り込む、届いたら教えてくれ」のようなことを突然言ってきました。
「1万円は返さなくてもいい、電子レンジでも何でも好きなものを買えばいい」とも。
父なる神も、お金を恵んでくださることがあります。
だれかを通して恵んでくださることもありますし、なぜ私のところへ届いたのかわからないお金を差し出されることもあります。
私にとってお金をいただくのはたいへんうれしいことです。
父のうしろにも父なる神がいらっしゃって私を見守っている
すなおに、ありがとう神様、ありがとうおとうさん、といえるようになれるといいですね(私の反省)。それではまた。