リッチ・デヴォスさんはどのように神様からお恵みをいただけたのか
お金持ちとラザロ

聖書ではお金持ちを目指すことが幸せになる方法ではなく、お金は神様から必要なだけ与えられると書かれています。ところで、世界的なコングロマリットの1つをつくった故リッチ・デヴォスさんがいらっしゃいます(※何度も記事にしてすみません、他に参考にする人物はいなかったのかとお叱りを受けるかもしれません)。

私が生まれるずっと前、彼と彼の友人がミシガン州で始めた会社を題材にさせていただきます(なぜなら、何年かこの仕事に取り組んだおかげで、本業の仕事もうまくいくようになったからです)。

今回は、彼のような超大金持ちがどのように神様からお恵みをいただけたのかを考えてみます。

リッチ・デヴォスさんは聖書にのっとった人だったのか?

お金持ちとラザロ
お金持ちとラザロ

リッチ・デェヴォスさんは聖書にのっとった人だったと思います(※個人的意見で諸説あります。基本的には私のようなものがひとりの人を良い人・悪い人と判断できません)。どうして彼のことを良い人だったと思ったか。その理由は1つです。

神様は大きな会社を彼に預けて、いまも多くの人に良い影響を与え続けているからです。

聖書に登場するお金にまつわる話し

聖書の中でお金についてはこのように書かれています。

貪欲に注意しなさい。有り余るほどの財産を持っていても、人の命は、財産によってはどうすることもできないのだから ルカによる福音書12章15節

命の価値は財産によって計ることはできない、という意味です。

ほかにも聖書には、富(財産・お金)と神様の両方に使えることはできないとあります。それは、自分ために富を積んでも、神の前に豊かにならないのと同じ意味です。

自分や身内だけではなく他者と分かち合い、他者のためになることをすれば、自分も神の国に富を積むことになります。

聖書に登場するお金持ちたち

聖書の中でお金持ちと貧乏人のたとえ話を3つ見つけることができます。

聖書にあるお金持ちへの警告

詳細は、聖書をご覧ください。

どれも、お金持ちや権力者、有識者をたしなめるたとえ話になっています。なので、聖書的にはお金持ちは悪いことと思っていました。

でも、彼らお金持ちや有識者の立場になって考えてみると、言い訳や反論したくなるだろうなと思いました。

聖書の実現を目指したとしても不正や不公平がある

たとえば、キリスト教は世界で一番信者が多い宗教だと聞いたことがあります。そのキリスト教でもいろいろな黒歴史があります。だからといって、キリスト教が悪いわけではないです。キリスト教を運用している誰かが判断を間違えたのです。※黒歴史のことは別記事にしようと思っています。

会社が公平公正で、神様を大切にしている限り、リッチ・デェヴォスさんも正しい人だったと思います(※諸説あり個人的意見です)。

以前、一部の人が行動規範を守らず彼の会社が行政処分を受けました。このような連帯責任は、不公平で不正な気もしました。

でも、よく考えると会社に帰属する一部の人(会社に所属する社員さんではないので帰属としています)が過ちを犯すリスクを残したまま野放しにしていたことは、良くないことです。

※日本でこの問題が起きたときリッチ・デェヴォスさんはすでに故人でした。彼の生涯中でも同じような事件は過去に何度かありました。

彼の会社がどれくらいしつこく正しい行動をとるよう啓もうしていたかを私は知っています。それでもやはり、過ちは起こるものです。

良いことでも不正の原因になりえる

彼の会社のことですが、すごいと思ったことがあります。

すごい!と思ったこと
  • 仲間と助け合うこと
  • それはもはや仕事ではなくて、遊び?
  • 好きなことをやるだけ

仕事が仲間と助け合うことで成り立つという点。仲間の成果が自分の成果になり、自分の成功が仲間の成功にもなる仕組みが用意されていました。ですが、

この良い点は、弱点でもありました。誰も始めたことがないやり方で、先行者利益をえようとする人が現れたのです。※私もその一人だったかもしれません。

こうすればうまくいくかも?という方法を考え出しても、インターネットで紹介する方法(※禁止されています)や不特定多数に紹介する方法(※これも禁止されています)は、すでにやっている人がいました。

それに、根本的なところで私も勘違いしていました。私のものは私のもの、あなたのものも私のもの、のような傲慢さがあったのです。

何年もたったいまでも、私はこの仕事を再開できずにいます。他人を出し抜きたい、そのような欲望が出ないように自制できないでいるからです。

※これは、私がやらないと決めたときの単なる言い訳かもしれません。本当はこの言い訳も取り除かないといけないのでしょう。そのようなことに気づかせてくれる仲間が近くにいればいいのでしょうが。

お金を得ることはいいことなのか悪いことなのか?

営業職が長かったため、私自身は利益を得る・中間マージンをいただく・ピンハネすることについては、怖くありませんでした。ですが、その営業職を始めた時はやはり怖かったです。

営業・セールスで利益を得ることへの怖れ
  • 右から左へ流すだけで30%近く利益を得られること
  • 仕入れや利益はお客さんに話してはいけない鉄則
  • それでもお客さんは買ってくれる

就職してすぐ、医療機器業界で働くようになった私はラッキーでした。上記の営業(セールス?)の基礎を教わったからです。ついでに営業の極意も早々と教えてもらいました。それは、

商品を売るのではなく自分を売る

医療機器の会社から教えられた教訓でした。

このことは後日、別の記事にしたいと思います。なぜならちょうど一昨日、家族の一人から「いまの仕事が面白くない」と相談を最近受けたからです。その答えは、このことばが一つの回答になるかもしれません。

医療機器の会社内で経験を積むことでいろいろな仕事を任せてもらえるようになったのですが、

昇進することはいいことなのか悪いことなのか?

会社では係長や主任から課長・部長へと昇進するのがが普通です。リッチ・デヴォスさんがプロデュースされたビジネスでも似たような方式がありました。ということは、昇進することは聖書的に悪いことではないのでしょう。

ですが、人生の初期の段階で平社員を長くやっていた私は、「昇進すること」を悪いことだと思っていました。聖書的にも慎ましく生きたほうがいいと思っていたのです。

昇進することよりも、自分自身に知識やスキルをつけ、他人に奉仕して、人間性に磨きをかけることが大切だと思っていました。※いまでもそう思っていまが、昇進しないでいる自分への言い訳にならないように気を付けています。

リッチ・デヴォスさんに話を戻します。彼のご本を読んでいるとこのようなことも書かれていました。それは、

本業の会社で社長や部長をやっていても販売がうまくいかないこともある

ということです。本業の会社で営業部長や社長をやっていたとしても、営業やセールスで儲けることはできない、かえって難しいかもしれない、という解釈です。

これで、当時平社員だった私は勇気をもらえたものです。医療機器の会社でたとえ社長や営業部長をされていたとしても、営業ができないひともいる。偉い人といえども営業できない理由は3つ考えられます。

ステータスがある人にも欠点がある
  • 最優先で考えていないから
  • その人のポスト(役職)で自己紹介にしているから
  • 傲慢さがあるから

追加ですが最近、個人的に思ったのは「営業がいやだから社長になった人もいる」ようです。

神とお金持ちに同時に仕えることはできない|マタイ6章19〜34節

という点、どう考えればいいでしょう。私は仕事(お金儲け)と神様、どちらを優先しますか?といわれていたように感じていました。

リッチ・デヴォスさんのビジネスについていったとすると、本業の医療機器とリッチ・デヴォスさんの提唱する仲間とのビジネス、それに神様、ということになります。どれをたいせつにするのですか?と問われているように思いました。

今思うに、二者択一や三者択一の問題ではなかったのです。医療機器の仕事の中で神様を見出して、リッチ・デヴォスさんやその仲間の方々との関係に神様を探せばよかったのです。

その後、リッチ・デヴォスさんの仕事は諦めて本業の医療機器に専念しましたが、その中にたくさん神様を見い出すことができました。もうすこし私が器用だったら3つとも回せたかもしれません。

お金持ちも貧乏な人も富の使い道に責任を負わされている

リッチ・デェヴォスさんは著書の中で、

富を得たものは、イエスの言葉を借りれば、その富の使い道に責任を負わされているのです
リッチ・デェヴォス「HOPE FROM MY HEART」より

と戒めていました。ここで言われているイエスの言葉というのは「タレントのたとえ(マタイによる福音書 第25章14~30節)」を指しています。

富の使い方で、その人の人間性が現れます。神様に使うのもいいですし、弱い人を援助するために使うのでもいいです。自分ためにだけ使うのもいいし、貯めこんでもいいです。ただ、

富を拝んではいけない

これは、よくわかります。でも、私が富を拝んでいないかというと、そうではありません。※反省します。

リッチ・デヴォスさん流の楽観的な解釈も書かれていました。こちらも引用させていただきます。

聖書は、物質的なものを拝んではいけない、物質的なもので偶像を作ってはいけないと教えていますが、地から生える実や、労働によって得られる実を楽しんではいけないとは言っていません
リッチ・デェヴォス「HOPE FROM MY HEART」P103より

そうなのかもしれません。

「地から生える実や、労働によって得られる実を楽しんではいけない」は、そういう労働を全うしなかったひとが、「ひがみ」や「やっかみ」からいう言葉なのかもしれません。※と、私はさらに反省しました。

少なくとも、金持ちでもかまわないという意見と金持ちが救われるには条件があるという厳しい意見がある中で、リッチ・デェヴォスさんなりに解釈されたのだと思います。

リッチ・デヴォスさんはどのように神様からお恵みをいただけたのか

お金持ちのことを聖書は否定していません。が、お金を持っている人はお金の使い方に責任があります。リッチ・デヴォスさんを例にしました。神様は大きな会社を彼に預けて、いまも多くの人に良い影響を与えています。

私が彼のビジネスを継続できなかった理由は、お金に目がくらんだり、お金持ちになりたかったり、お金持ちのことをひがんだりしていたからです。いまもその傲慢な心をへし折ることができないでいます。

追加情報:

記事追加:何もしないで収入を得るのは良いことなのか悪いことなのか?【アドセンス広告とアフィリエイトについて】

リッチ・デヴォスさんの記事を書きながら思い出したのは、彼のビジネスの紹介をネットでやればうまくいくのになと思った当時のことでした。

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アドセンスは、グーグルのアドセンス広告のことです。興味ある商品を検索したあと、何かにつけてその商品の広告が表示されることがあると思います。たいがい、それがアドセンス広告だったりします。

それに対してアフィリエイトという手法があります。アドセンス広告のような自動広告機能ではなくて、ブログの作者が「この広告をこんなふうにはさむといいのじゃないかな」と、主観とさじ加減で差配できる広告のことです。グーグルのアドセンス広告に比べると、より頭を使う広告掲載の手段です。

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