聖書ではお金持ちを目指すことが幸せになる方法でなく、お金は神様から必要なだけ与えられると書かれています。

ところで、世界的なコングロマリットでしかもMLM(マルチレベルマーケティング)ビジネス創始者のひとりで故人のリッチ・デヴォスさんがいらっしゃいました(以前、記事にしましたね)。

今回は彼(のご本を読んだので)をたとえにして、お金持ちがどのようにして神様から認めてもらえるのかを考えてみます。


お金持ちのひとは聖書にのっとった人なのか?

一般論としてお金持ち=聖書にのっとった人ではないと思っていました(※個人的感想)が、この考えを覆すことになったのが、この本です。

※個人的意見で諸説ありますし、基本的には私のようなものがひとりの人を良い人・悪い人と判断できません。

こう思った理由は1つです。

神様が会社を彼に預け、いまも多くの人に影響を与えたからです。

聖書に登場するお金にまつわる話し

聖書の中でお金についてはこのように書かれています。

貪欲に注意しなさい。有り余るほどの財産を持っていても、人の命は、財産によってはどうすることもできないのだから ルカによる福音書12章15節

命の価値は財産によって計ることはできない、という意味です。

ほかにも、富(財産・お金)と神様の両方に仕えることはできないとも、書いてあります。それは、自分ために富を積んでも、神の前に豊かにならないのと同じ意味です。

自分や身内だけではなく、他者と分かち合い、他者のためになることをすれば、神の国に富を積むことになります。

※宗教が嫌いな人は、高額献金を連想すると思いますが、宗教団体を除外すると素直に理解できます。

聖書に登場するお金持ち

聖書の中でお金持ちと貧乏人のたとえ話は、3つ見つけることができます。

聖書にあるお金持ちへの警告
  • おろかな金持ち(明日死ぬことを知らず倉庫を建てたひとのはなし)
    ルカによる福音書 12章13~21節
  • 金持ちとラザロ(金持ちの食卓から落ちる食べ物で飢えをしのごうとしていたラザロ)
    ルカによる福音書16章19 - 31節
  • よきサマリア人のたとえ(行き倒れたひとを介抱したサマリア人)

詳細は、聖書をご覧ください。

聖書の実現を目指したビジネスでも不正や不公平がある

公平公正で、神様を大切にしている限り、どんなひとでも正しい人です。

※という前提です、私の価値観。

ところが、何年かまえ、彼の会社が行政処分を受けたという報道があり、驚きました。

※私自身個人的には、行政処分の方こそ不公平で不正な気がしました。

ビジネスに関係する一部の人が過ちを犯すリスクを野放しにしていたかもしれないことは、やはり、良くないことなのでしょう(お金持ちになるほど、責任はシビアにならざるを得ないのかも)。

※日本国内でこの問題が起きたとき、彼はすでに故人でしたが。

良いと思ったことでも不正の原因になりえる

彼の始めたビジネスをすごいなと思った理由は、仲間で助け合うビジネスだったからです。仲間の成功が自分の成功になり、私の成功が仲間の成果にもなるような仕組みだったのです。

この良いところは、同時に弱点でもあったらしく、誰も始めたことがないやり方で、先行者利益をえようとする人がときどき現れるようです。

こういうのを

他人を出し抜く

というかもしれません。

私は、いまもまだこのビジネスを再開したいと思えません。

その理由は、他人を出し抜きたいという誘惑や欲望を自制できないからです。

※私は、他人と協調することが得意でないのです。

利益を得ることに対する怖れ(恐怖心)

営業職だったため、私自身は利益を得る・中間マージンをいただく・ピンハネする(汚い言いかたで申し訳ございません)ことについては、怖くないです(営業職を始めたころは怖かったです)。

営業のおきて
  • 仕入れや利益の額はお客さんに話してはいけない鉄則
    それでもお客さんは買ってくれる
  • 売れるようにした対価が利益
  • 1円でも安く仕入れて1円でも高く売る

私はラッキーだったとおもいます。

営業マンになって何も知らない初心者だったとき、当時の会社が、上記のようなこと、営業とかセールスの基本を教えてくれました。

そのなかで、もっともためになったのは、

商品を売るのではなく自分を売る

でした。

この考え方は、前出の「天国に宝を積む」と同じ考えだと感じました。

同時に、儲けるという漢字は「信者」と書く、ということも教わりました。自分を売り込むことは自分を信頼してもらうことだという意味です。

会社でレベルアップすること

会社でも係長や主任から課長、部長と昇進(レベルアップ)します。それと同じ仕組みは、どこにでもあって、お金持ちの代表格として例に挙げている彼(リッチ・デヴォスさん)のつくったビジネスでもそうでした。ただし、彼によると、

会社で社長や部長だったとしても営業ができるとは限らない

のだそうです。そのことばで、当時平社員だった私は勇気をもらえたものです。平社員でも一発逆転ホームランを狙えそうに思えたからです。

社長や部長が営業できるとは限らない理由は、3つありました。

営業できない理由
  • お客様に対して上から目線になりやすい
  • 役職で自己紹介にしている
  • 傲慢さやわがままがある

聖書に書かれていることと矛盾することはないです。

お金の使い道に責任を負わされている

富を得たものは、イエスの言葉を借りれば、その富の使い道に責任を負わされているのです リッチ・デヴォス

「タレントのたとえ(マタイによる福音書 第25章14~30節)」を思い出します。富の使い方で、その人の人間性がわかります。

神様に使うのもいいですし、弱い人を援助するために使うのでもいい。自分ためにだけ使うのもいいし、貯めこんでもいい。

※「タレントのたとえ」では、タレントを土にうめて大切に保管していた(タレントを使わなかった)人は、そのタレントを取り上げられてしまいました。

私は、この点だけは注意しようと思っています。

富を拝んではいけない

これは、よくわかります。でも、私が富を拝んでいないかというと、そうでもありません。ここは私が反省しなくてはいけない点です。

同じことをお金持ちの代表者として今回例に挙げているリッチ・デヴォスさんも書いていらっしゃいました。少し引用させていただきます。

聖書は、物質的なものを拝んではいけない、物質的なもので偶像を作ってはいけないと教えていますが、地から生える実や、労働によって得られる実を楽しんではいけないとは言っていません

お金を大切にしておく、というのは(私のように)お金を大切にしまっておくことではなくて、(多くのお金持ちがやっているように)お金の使い道を大切にすることなのかもしれませんね。

「地から生える実や、労働によって得られる実を楽しんではいけない」は、そういう働きかたを全くしてこなかったひとが、「ひがみ」や「やっかみ」で他人を批判してはいけないという意味です(※私はこの点も反省)。

リッチ・デヴォス[Hope from the Heart]富の使い道に責任を負わされている

お金持ちのことを聖書は否定していないです。お金持ちにはお金の使い方に責任があります。

神様が大きな会社を彼に預けて、死後も多くの人に良い影響を与え続けるように(ときどき、間違いも起こっているようですが)なさったのかもしれません。

だれかのために役に立つこと。私のような貧乏人でも最優先で取り組まなくてはならない課題です。これらのことをこの本で学びました。

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