
今日(2025年8月10日)のミサで読まれたヘブライ人への手紙11章1節の言葉が、心に残っています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
そして、こう続きます。「昔の人たちはこの信仰のゆえに、神に認められました。」神様が見えないのは、ここに理由があるのかもしれません。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。'信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 ヘブライ人への手紙 11:1
神様の摂理と信仰
私は、うまくいかないことがあると、つい自分の力でなんとかしようともがいてしまいます。しかし、信仰とは、私の努力を超えたところに神様の摂理があることを受け入れることのようです。
そうすることで、再び神様を思い出し、「どうか助けてください」と祈ることができるらしいのです。
また、神様が見えないことには、偽預言者から私たちを守るという意味合いもあります。聖書には、世の終わりには「ここに神様がいる」「私がキリストだ」と名乗る偽預言者が将来現れると書かれています。
神様の姿は人間に知らされていませんし、その時がいつ来るかも明らかにされていません。
「神がここにいる」と名乗る人間を信用してはいけないのです。
だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。 マタイによる福音書 24:26
イエス・キリストでさえも、自分が神だとは直接おっしゃいませんでした。ペトロが「あなたは神の子キリストです」と告白したときも、
そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」 マルコによる福音書 8:29
ピラトによる尋問の時もそうだったですよね。
そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 ヨハネによる福音書 18:37
ペトロに「あなたはメシア(救い主のこと)です」と信仰告白したあとですが、
するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。マルコによる福音書 8:30
イエス様がこう戒められたのは、「人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。」と、いわれていたからですね。
神様は人間に秘密にされているのではなく、すべてのことに神の摂理が働いていることを私達に伝えてくださっているのです。

