「かみさまがいるって、しんじていますか?」って、しつもんをうけた。「しんじる」って、なんだろう。たとえば「パパはぜったい、いきてかえってくるって、しんじてます」これはきっと、かみさまがいるかいないか、にんきとうひょうしているのとおなじことじゃないかとおもったんだ。
しんじることは、むずかしい

しんじるっていうのは、むずかしいことなんだよね。
いろんな、しんじるがあるから。
たとえば、
- 「テストにごうかくするって、しんじる」
- 「れいとうこに、アイスがあるってしんじる」
- 「パパはぜったい、いきてかえってくるって、しんじる」
- 「このえいががハッピーエンドになるってしんじる」
どれもいっしょにみえるけど、ちょっとちがうのもある。
パパはぜったい、いきてかえってくるってしんじてます
テストのごうかくや、れいぞうこのアイスは、そうなるのがあたりまえっていういみの「しんじる」だね。
だけど、テストにごうかくするのが、ジブンじゃなくて、ともだちだったらどうだろう。
「ともだちが、テストにごうかくするって、しんじる」
あるいは、ゆくえふめいのおとうさんに「パパはぜったいかえってくるって、しんじる」だったら?
どうなるかわからないことを「しんじる」
どうなるかわからないことを「しんじる」って、ゆうきがいることだよね。
テストは「ふごうかく」になることもあるし、パパはもう「かえってこれない」かもしれない。
それでもしんじるとは
それでも、しんじるともだちや、かぞくがいるって、こころづよいよね。
そうなんだ。
「しんじる」って、おうえんするっていういみがあるんだよ。
- テストでごうかくするようにともだちを「おうえんする」
- あらしのなかをさまよっているパパを「おうえんする」
かみさまがいるってしんじることは、この「おうえんする」きもちにちかいんだ。
だからボクは「かみさまをしんじる?」ってきかれたら「かみさまをしんじています」ってこたえるよ。
それは、ボクが、かみさまをおうえんしているからだ。
じゃあ、
かみさまには「おうえん」がひつようなんだろうか?
かみさまがこれまでボクのことを「おうえん」してくれたんだったら、かみさまを「おうえん」することは、たいせつだと、ボクはおもっているよ。
かみさまに「おうえん」がひつようなのかどうなのかはべつにして。
かみさま がいるって、しんじる?
かみさまがいるかいないか、にんきとうひょうしているのとおなじことじゃないかとおもったんだ。
だから、ぜひ、かみさまはいる、かみさまをしんじている、って
むねをはってこたえよう。