よのなか、くらいことだらけだね。ボクはびょういんをパトロールしていたから「どうしてびょうきになるのですか?」っていうなやみをきくことがあった。びょうきになるのは「よわさにきづくため」「おもいやりをよせるため」だ。ジブンのあしあとはダイヤモンドのじんせいになってのこっていくよ。
びょうきになるりゆうは?

いっぱんてきに、びょうきになるりゆうは、
- びょうげんきんや、ウィルス
- アレルギー、じこめんえきはんのう
- がん
- ストレス
だといわれている。せいしんしっかんもあるから、もっとりゆうはたくさんある。
だけど、ここでは、そんなりゆうをきいているのではない。
じんせいにおける、びょうきのいみをきいているのだった。
「びょうき」になるりゆうは、
- 「ジブンよわさにきづくため」
- 「ひとのくるしみにきづくため」
- 「おもいやりをよせるため」
だ。
ジブンのよわさにきづくとは?
ボクのあたま、よわいかも~(つよいつもりでいる、ジブン)。
びょうきになる1つめのりゆうは、よわさにきづいて、へりくだるためだ。
かみさまは、「ジブンがいちばんえらいんだぞ」って、おもっているひとのこころをへしおられる。
とはいっても、ボクのイメージは「アメリカのかいへいたい」みたいな「だれにもまけない」っておもっているヒトが「きをつけ」しているときに、かみさまがうしろから「ひざカックン」するようなかんじ。
そうやって、つよいものをあるひとつぜん「びょうき」や「けが」がおそうんだ。
それから、もうひとつの
ひとのくるしみにきづくとは?
びょうきになる2つめのりゆうは、ひとのくるしみにきづくためだ。
びょうきになったときに「どうして、ボクがびょうきになったんだろ~?」って、なやんだすえに、それなりのいみをみつける。
いちばんむずかしいのが、ひとのくるしみにきづいて、
「おもいやりをよせる」ことだ。
おもいやりをよせるため
どうしていちばんむずかしいかというと、ジブンもつらいから……だね。
たとえば「あと1かげつのいのちです」っていわれたとき、「なんで、ジブンがびょうきになったのか」って、かんがえるでしょ?
「あ、タバコをすってたからか~」って、げんいんがわかっても、まったく「なっとく」できないよ。
ジブンのじんせいと、ひきかえに、なにかをみつけたくなるハズだ。
そのこたえのひとつが「だれかのよわさにもきづいて、だ。
「ジブンはもう、しんじゃうけど、かぞくには、いつもめいわくをかけたなぁ」
(かぞくのよわさにもきがついた)
それにきづくと、このひとのじんせいはダイヤモンドのかがやきのうちに、おわることができるんだ(と、おもう:けいけんしてないから、だんていしない)
しりあいが、びょうきになったとき
これは、しりあいがびょうきになったときのことだ。
それまで、そんなにたいせつでなかったしりあいでも、びょうきになったときくと、「やさしさ」と「おもいやり」がうまれる。
そのしりあいが、しんだりしたら「かなしさ」や「さびしさ」もかんじる。
それから、ボクは、りょうしんがげんきだから、まったくしんぱいしてなかったんだけど、としをとって、ちょっとねつがでただけで「あ、このまま、しんじゃうんじゃないかな」って、あせったことがある。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も、まったく、いえてないことにきづいたわけだ。
そんな、じゅんびをさせてくれるのが「びょうき」なのかもしれない。
かみさま、どうしてびょうきになるのですか?
「びょうき」になるりゆうは、「よわさにきづくため」「ひとのくるしみにきづくため」「おもいやりをよせるため」だ。
それだけのために、びょうきでしぬひともいるんだけど「それだけのために」ではないって、きづくこともたいせつだよ。
「びょうき」をかみさまからのおめぐみだってしんじてるひともいる。
ジブンもそうになれるように、ねがっている。
もしも、びょうきになっても「びょうきより、もっとおおきな、おめぐみをかみさまから、いただけますように」ってね。