誰にでも、ついカッとなってしまう瞬間があるのではないでしょうか。私の場合は、特に「不公正」「不誠実」「不平等」な対応を受けた時に、怒りがこみ上げてきます。イライラを通り越してムッとし、時には「畜生!」と呟いたり、舌打ちしたり、運転が荒くなったり、思わず一言物申してしまうこともあります。
※醜いですね。よいこの皆さんは絶対にまねをしないように。
もちろん、その後はいつものように冷静になるのですが、毎回「またやってしまった」と反省する日々です。
私に向けられる不、への反応
不平等や不誠実といった感覚は、他人がそのような仕打ちを受けているのを見た時には、正直あまり心に響きません。あくまでも、自分自身に対してそのような対応がなされた時に、私の怒りは爆発するのです。
※ 恥ずかしながら、自己中心的な自分にも気づきます
以前、迫害が起こると信仰が芽生えるという言葉を聞いたことがあります。迫害と聞くと、ローマ時代のコロシアムや、住民が皆殺しにされるような悲惨な光景を思い浮かべます。そんな理不尽な仕打ちを受ければ、なんてひどいことをするんだと怒りが湧き起こるのは当然でしょう。
※少し前に、時川英之監督の新作映画は「惑星ラブソング」トークショーへ行きました。広島を舞台にした青春SFファンタジーと言われていますが、時川監督によると「新しい方法で、広島と平和を伝えたいと持って作った」そうです。この映画をまだ見ていませんが、過去と未来が交錯し、音楽が人々の心を繋ぐ物語とのことです。このトークショーで客席にいた中学生一人が質問に立ちました。「戦争によって、いろんな悪いもんがもたらされたのはよく知っています。今後のためになるようなものはなかったのでしょうか?」それは、神様を信じている人には「信仰がもたらされた」ということができたことでしょう。
私の場合もそれと似ています。「なんて不公平な仕打ちをしてくれたのか」と相手を罵った後、「またやってしまった」と反省するまでの間に、ふと心の中で「神様、どうしてこの不公平があるのでしょうか。どうか、私を助けてください」と祈りを捧げていることがたまにあります。
怒りから見えてくる信仰の深化
考えてみると、不公平で不誠実で不平等な仕打ちを受けるたびに、私の信仰はむしろ強められているのではないかと感じています。怒りという感情は、一見するとネガティブなものですが、その奥には、自分の大切な価値観が侵害されたことへの強い反応があるのかもしれません。
そして、その価値観を守りたい、理不尽に立ち向かいたいという思いが、結果的に見えない力に助けを求めるきっかけとなっている。そんな風に考えると、私の怒りは、ただの感情の爆発ではなく、自己と向き合い、内面を深めるための大切なサインなのかもしれません。
もちろん怒りを引きずるのは良くない
怒りが起こると、こうやって喜ぶのもいいですが、すぐに怒りの気持ちは引っ込めましょう、怒りから出る言葉は、まるで悪魔が喋っているような汚い言葉です。冷静になってろくおんをききなおしてみるとわかります、録音するような人はいないと思いますが。
怒りの気持ちを収めるには、怒りの気持ちが収まるまでじっと待つか、神様に頼るしかないです、私の場合は、なにかクスッと笑えるような出来事を目にして、怒りは一瞬で収まることがあります。
私の怒りの正体と、そこから見えてくるもの
私にとっての怒りは、私を否定してくる理不尽な攻撃でした。こういうこだわりがあるのだとわかると、自分自身を理解することもできるようになります。不正・不公平・不平等などを感じやすい自分は、すなわち、自分が他人にもそのような行動をしていないか、アレルギー反応のように敏感になっている状態です。
ところで、あなたにとっての怒りの正体は何でしょうか?そして、その怒りから、どんなものが見えてくるでしょうか?ぜひ、ご自身の心と向き合ってみてください。

